『スパイダーマンATSV』公開前夜 発達障害と、前作の思い出。

 映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の公開が楽しみで仕方ありません(唐突)。今回は公開直前なので、前作『スパイダーマン:スパイダーバース』への思いをつらつらと。


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 まだ高校生だった頃、前作『スパイダーマン:スパイダーバース』の本編映像が『ヴェノム』のエンドロール後に流れたときは、「ああ、スパイダーマンのアニメ映画なんてやるんだ。なんか見たことないアニメーションスタイルだなぁ」ぐらいに思っていました。その数ヶ月後に海外から絶賛の声が届き、翌年に3か月遅れでようやく日本でもIMAX先行公開。当時のSNSでは口コミが本当に盛り上がっていて、私も「絶対にIMAX3Dで見ろ!」みたいなツイートを見かけたことがキッカケで、映画館まで自転車をエッサホイさ漕いでいった記憶があります。当時は学年末試験があったので公開すぐには観に行けず、2019年3月24日に観に行きました。もう4年以上前になるんですね......。

 

 私が『スパイダーマン:スパイダーバース』にどれだけ衝撃を受けたか、試しに書いてみたんですが、やたらと長くて擬音の多い文章になってしまったので今回はあえて触れないでおきます。

 

 とはいえ、この映画が私の生涯ベスト映画になったのは事実で、人生で最も多く再鑑賞した映画でもあります。しかし、私はこの映画の何が好きだったのか、好きなところが多すぎて、最も核心に刺さった箇所はどこだったのか、自分の中で腑に落ちる結論は出せずにいました。

 

 当然「貧しい若者が“大いなる責任”のために、俗世に留まりながら巨大な十字架を1人で背負う」、スパイダーマンというキャラクターのヒロイズムを解体する手段として、「他でもない(別世界の)自分自身と連帯する」という、ダン・スロットによる原案コミックからの革新的なアイディアに感激したところはあります。アルベルト・ミエルゴが確立した画期的なビジュアルも、主人公をお馴染みのピーター・パーカーでなくマイルス・モラレスに据えた点も。マイルスの成長ドラマにも泣かされました。かくいう私自身もマイルスと同様、中学時代に地元の学校からの転校を経験していて、新しい学校に馴染めず孤立した思い出があったのです。

   アニメーション革命とも呼ばれた斬新な映像表現も、わざわざ私が書かなくとも大勢の方が言及しています。大好きなラッパーたちがこぞって参加したコンピレーション・アルバムも大好きです。でも、それだけではないのです。私があの映画のどこに最も共鳴したのか、どうしても言葉が足りなかったのです。

 

   それがようやく分かったのは昨年、自分に自閉スペクトラム(ASD)とADHDがあることを知ってからでした。自分が何者なのかを知るための、人生で最大のヒントを得たのです。

   発達障害に関する本を片っ端から読んで、映画を観て、自助グループにも足を運びました。この1年間、誇張抜きに人生が一変したように思えます。人生の大前提が違っていたことにようやく気付けたんですから。

 

   主治医の先生は私の発達障害に関して、「あなたの情報を大切に扱ってくれると確信できるぐらい信頼できる相手でないならば、(発達障害を)オープンにすることにはリスクが伴う」と仰っていました。社会はこのトピックに関してまだまだ無理解なところが多く、場合によっては私が無闇に傷ついたり、同じ障害を持つ人たちを傷つけることもあるから、だそうです。口では「わかりました(キリッ」とか言ったんですけど、結局ベラベラ喋ってしまうんですよね。“ADHD併発型ASD”という、自分を説明できる明確な言葉が見つかったことが嬉しかったんです。

 

   本来は好ましくない私の雑な“オープンさ”ですが、これによって気付けたことがあります。「発達障害、またはグレーゾーンの人は、自分が想像していたよりも遥かに多かった」ということです。

   発達障害に関して勉強している、それは自分がそうだと分かったからだ、といったことを何気なく私が会話に出したところ、同じ大学にも、アルバイト先にも、「ああ、僕/私も実はそうなんだよ」なんて答えてくれる方がいらっしゃいました。私の生活の身近なところで、私と同じような闘いを繰り広げている人々はずっとそこに居たのです。ただし、場合によってはこれはアウティングにもなり得るので、今思えばもっと慎重になるべきだったと反省しています。中には「診断は受けたけれど、診断書は受け取らなかった」と仰っていた方もいらっしゃいました。

 

   最近は“ADHD”という言葉がネット・スラングになっているような感もしていて、非常にモヤモヤしますね。「俺、集中力なくて怠惰だからきっと“えーでぃーえいちでぃー”なんすよw」みたいなことを自虐のつもりで言ってる奴、未だに見かけます。未診断の当事者にはガスライティングになりますし、言う当人も含めて誰も幸せにならないんで、やめましょうね、マジで。

 

惜しい

 

  ちょっと脱線しましたが、自分以外の発達障害当事者との交流の中で最も印象的だったのは、少し前に珍しく姉と出かけたときのことです。姉の大学時代の同期にADHDの方(仮に、Aさんとします)が居て、処方薬についてもよく知っているから一度会って話してみるか、といった誘いでした。

  18時に駅集合。本当は個室のある静かな店に行くはずだったんですが、手違いがあって個室のないオープンな店に。Aさんは少し遅れて到着しました。Aさんのお話はとても共感するところも多く、参考にもなりました。薬の服用によって格段に不注意や眠気が減ること、副作用として吐き気や食欲減退があること、海外旅行に行く場合は現地で処方して貰えない場合もある、今のところ私は薬の処方は受けていませんが、大変勉強になりました。

 

 ただ、個室でなく、他の客の会話やBGM、店内のテレビの音声がごった返している店内は非常に気が散り、会話が途中で途絶えることもありました。Aさんも同様のようでしたね。

   私がトイレから戻ってくる間、我々の席の背中合わせのボックス席の3人連れが、店員さんに「このBGMの曲名、なんだっけ?」と訊いているのが聞こえてきました。信じ難いでしょうが、かつての私なら席まで歩いて行って、「これは~~~という曲です。」と指摘しに行っていました。それだけ、自分の衝動性を抑えられなかったのです。このときは「それでは相手を驚かせてしまうし、大して重要なことではない」と思いとどまることが出来たので、自分の成長を実感した次第でした。

 

   話のネタが尽きてきて、そろそろ解散かなァなんて思い始めた頃、先ほどの背中合わせのボックス席のお姉さん方の1人から視線を感じました。なんだろう、と思っていたら、話しかけて下さいました。

「ひょっとして今、“コンサータ(ADHDの処方薬)”の話をしていましたか?」

「そうなんですよ」

「私たちも飲んでいる薬です。さっきからチラチラと、隣のほうから身近な単語が聞こえてきたもので。」

   こんな感じだったでしょうか。周りの客の会話が聞こえていたのは、僕やAさんだけではなかったそうです。予期せぬ同胞との出会いに驚きました。意外と居るもんです。

お姉さん方のうちの二人がそれぞれADHD当事者で、片方は僕と同じASDとの併発型だったと記憶しています。僕やAさんよりひと回り年上の先輩方でした。

  お二人からも、Aさんと同じぐらい貴重な話をたくさん伺うことが出来ました。パーソナルな内容もあったので詳しくは触れられないですが、思わず笑っちゃう“ADHDあるある話”、“ASD失敗談”なんかもあって、楽しい時間を過ごすことが出来ました。片方の方が、こんな感じのことを仰っていました。

 

「もしこれまで、もしくはこれからの人生で、自分ではどうしようもない生きづらさを感じたとしても、それはあなたのせいではない。あなたは悪くない、障害が悪いんです。」

 

 それは、20年と少し生きてきて、私がずっと欲しかった言葉でした。

 もちろん、診断を受けた際にカウンセラーや主治医の先生も同じようなことを言ってくれましたが、偶然居合わせた赤の他人で、自分より長い時間、同じ闘いを続け、生き抜いてきた先輩から貰う言葉には、違った重みがありました。

 

   後から振り返れば、この発言は障害を当事者に付随するものと考える“疾患モデル”の考えが若干強い傾向にある意見です(対して、“社会モデル”は当事者とその周りの環境やシステムの間に“壁”となるような形で“障害”が存在すると考えます)。それでも、自分には救いになる言葉だったのは事実でした。私がもっと年齢を重ねたとき、同じ言葉を後の世代にあげられるような大人になりたいと強く思いました。そのためには自分の生活がしっかりしていないと説得力のない言葉になってしまうので、ちゃんと自立して生活できるようにならないとですね。

 

   店の閉店の時間が来て、御三方とAさんに感謝を述べて、別れました。姉はSNSアカウントを教えてもらったりしていましたが、私はスマホからSNSのアプリを消しているので、そういったことはしませんでした。一期一会が大事ですし、私はSNSでも個人間のやりとりになると基本的に事務連絡しかできないので、これでいいのです。本当に美しい経験をしました。

 駅から歩く道で姉に、いやぁ今日はセッティングしてくれてありがとう、めっちゃスパイダーバースだったわァ、なんて言ったら困惑されました。

 

   そう、ここまで長々と話した出来事と『スパイダーマン:スパイダーバース』に、一体なんの関係があるのか?

 

  大丈夫です。ちゃんと繋がります。説明しますね。

 

  私が『スパイダーバース』のストーリーで好きなところは、同じ宿命を抱えたものたちが特有の身体感覚(スパイダー・センス)によって偶然引き合わされ、交流を重ね、お互いをケアし合い、闘いが終わるとそれぞれの日常へと帰っていくところです。

 

  ボックス席の背中合わせを隔てた一連の交流は、ADHD当事者によくある「広場などの人の多い空間で必要な音声情報を取捨選択するのが難しい」という固有の身体感覚によって発生したことです。話していて分かったんですが、Aさんもお二人も、目の前の会話からついつい注意が逸れて、お互いの席の会話や店内の会話がチラチラ聞こえていたんですね。日常ベースで考えたらただの不便ですが、これ、めっちゃ“スパイダー・センス”ぽくないですか?あの場は自助グループなどではなく、偶発的に発生した引き合わせです。世代も違いますし、アイデンティティも大きく異なる人生が、あの数時間だけ小さな店内で交差したのです。これも“マルチバース”っぽい。

 

   また、私のようなASも同時に抱える併発型ADHDは、交友関係も狭くなりがちです。別にそれ自体何も悪いことだとは思わないんですが、スパイダーマンだって60年近い歴史がある割には、プライベートの交友関係は決して広くはないですよね(まぁ、悪党から恨まれたり執着されることは多いですが......)。少なくとも、『スパイダーマン:スパイダーバース』のマイルスとグウェンは、それぞれの世界で孤立していました。

   定型発達(発達障害のない人)を前提に作られた世の中で発達障害を抱えて生きていくこと、それは長く、孤独な闘いです。理解のあるサポーターが居ない方や症状に自覚のない方(ここも無理矢理『スパイダーバース』に繋げるなら、マイルスのような自分の特性との向き合い方に慣れていない人)だったら尚更だと思います。

 

   ただ、ここまで長々と書いて伝えたかったことは、先ほども書いた通り「同じ問題と闘っている人は、見えない身近なところに想像以上に居るもんですよ」ということです。決して障害を抱える苦悩を一般化したいワケではありません。発達障害は見た目で判断できない“見えない障害”、まさにスパイダーマンみたくお互いにマスクを着けているようで、可視化されにくいものです。それで苦しんだり孤立する人も多いでしょう。しかし、ベタな言い方ですが、1人じゃないですよ、っていうことを伝えたいのです。映画みたく、マルチバースが繋がる大事故が起きなくても、すぐそばの隣人の中に、同胞たちは存在します。発達障害の場合はそれが“見えづらい”だけです。

 

 

   僕が『スパイダーマン:スパイダーバース』を再鑑賞するたびに毎度泣かされるのは、エンディングのマイルスのモノローグです。

 

「誰もわかってくれないって感じた時は─(And when I feel alone, like no one understands what I'm going through,)

「仲間を思い出す(I remember my friends who get it.)

 

「僕はスパイダーマンCuz I'm Spider-Man.)

「でも1人じゃない 仲間がいる(And I'm not the only one. Not by a long shot.)

   引用:『スパイダーマン:スパイダーバース』より

 

 コミック版でもそうでしたが、この映画の素晴らしいところは、孤独なヒーローたちが集まってもアベンジャーズみたいなヒーローチームが結成されるワケではなく、皆んなでビール片手にバーベキューしてFamilyするワケでもなく、それぞれがそれぞれの孤独な闘い、孤独な日常に帰っていくところです。

 

   結局どの世界でもスパイダーマンは孤独であること、その宿命からは逃れられないのです。しかしこの映画は、それぞれ孤独な人生を送っている者たちが、どこか遠くにいる同胞に思いを馳せて幕を下ろすのです。なんてエモーショナルなんでしょう!

 自分とは違う名前、違う人物、違うアイデンティティかもしれないけれど、同じ問題と闘っている人が(ひょっとしたら豚なんかも)いるかもよ、と希望を持たせてくれるところが、まだ未診断だった高校時代の自分の核に無意識に刺さったのかもしれません。4年越しに現実の私の住む世界で、私に同じことが起こったとき、ようやくそれを実感として掴むことが出来たのです。

 

 一連の出来事を経た後にもう一度『スパイダーマン:スパイダーバース』を再鑑賞すると、まるで違って見えます。初めて見たときとは違った衝撃です。続編の前にもう一回ぐらい見ようかな。

 

 

 さて、間もなく日本でも公開される『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は予告編を見る限り、マイルスが “スパイダーマン”というアイデンティティの核となる部分に、ある種メタ的に言及していく作品になっているようです。

 

 社会の公正のために“大いなる責任”を還元すること、そのためには個人の幸福を投げ捨て、周りの人との幸せを手放さなければならないのか?

 スティーヴ・ディッコとスタン・リーの2人がスパイダーマンを生み出して以来60年が経ってもなお纏わりつくこの“呪い”からは、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』に登場したピーターたち3人ですら、誰1人逃れることが出来ませんでした。

 マイルスが次回作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』で闘うのがこの“呪い”なのだとしたら、そりゃ応援するしかないでしょ、もう。60年の歴史の闇の側面と、正面からブチ当たっていくんですから。予告編ではメインの敵役のように紹介しているのが、マイルスと同じラテン系のルーツを持つスパイダーマン:“スパイダーマン2099”ことミゲル・オハラなのも、こういった闘いになることを示唆しているように思えます。

 個人的にはネットミームの波に溺れてしまった“東映スパイダーマン”こと山城拓也だって、この呪いから救いあげてほしいのですが、そんなオタクの願望なんて二の次で良いのです。頑張れ!マイルス!頑張れ!スパイダーマン!!

 

 なんにせよ、6月16日が楽しみです!チケット争奪戦頑張るぞ!!

 

 

【オマケ】オススメの『スパイダーバース』フォロワー作品

【アルベルト・ミエルゴ諸作品】

Netflix 『ラブ、デス&ロボット』

  シーズン1ep3「ある目撃者」

  シーズン3ep9「彼女の声」

・短編『The Windshield Wiper 』

・ゲーム『Watch Dogs: Legion』シネマティック・トレーラー

 


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【アニメーション・ルックとしてのフォロワー作品】

・アニメシリーズ『アーケイン』

・映画『ミッチェル家とマシンの反乱』

・映画『キッド・カディ:Entergalactic』

・映画『THE FIRST SLAMDANK』

 


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フィル・ロードクリストファー・ミラー過去作】

 ・映画『くもりときどきミートボール

 ・映画『LEGO ムービー』

 ・映画『レゴバットマン ザ・ムービー』(製作)

 

【2023年9月22日公開:『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』予告】


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